Misaeさん (4) とK. S. さん 永住権面接待ちでコロナ禍下の日本一時帰国

Misaeさん (4) とK. S. さん 永住権面接待ちでコロナ禍下の日本一時帰国

2020年10月1日掲載

Misaeさんの前回の体験談はこちら。

Misaeさんの一時帰国体験

日本への緊急帰国。今回私は私情により、日本に一時帰国しました。私の今のステータスは、グリーンカードの面接を待っている状態です。この状態で日本へ一時期帰国することはかなり迷い、夫とも何回も話し合い決めました。今回は帰国前、帰国後のことを書かせていただきます。

帰国前準備

今回の一時帰国で一番心配だったことは、私のステータスとコロナです。グリーンカードの面接を待っているという状態で、アメリカへ戻ってくることはできるのか、コロナウイルスの感染者増加に伴い、アメリカへ戻って来られない可能性があるのではということです。私はとても心配症な性格のため、何度も星さんに相談し、また、弁護士の方とも何度もメールや、電話でやりとりをしました。星さんも弁護士の方も次から次へと出てくる私の質問に対し、丁寧に的確に答えて頂き、不安なく帰国することができました。

空港、機内

帰国当日、出発の3時間前にはLAXに到着しました。空港内はとても閑散としていて、カウンターはほぼ閉まっており、スタッフの方も必要最小限といった感じでした。もちろん免税店やレストランも全て閉まっていました。乗客もそんなにいないため、搭乗手続きも早々に終わり、保安検査場も待ち時間なく通過しました。

機内では乗客は少なく、1列に乗客1人といった感じでした。また、前後が重なることなく座席が組まれていました。日本到着までに簡単な問診票と日本での滞在住所、連絡先、空港からの交通手段などを書く紙が配布されました。

到着後

到着後は検温と PCR 検査を行うため、数人ずつ飛行機から降りていきます。順番が来るまでは機内で待機でした。機内から降りた後も PCR 検査場まで、ソーシャルディスタンスを保ちながら、順番を待ちます。結果はその日のうちには出ないため、自宅へ帰宅する人はそのまま自宅へ、結果をホテルで待つ人は空港が用意したホテルへ向かいました。私は空港が用意したホテルで結果が出るまで宿泊しました。ホテル滞在中の宿泊費や食事は全て空港が準備して下さいました。次の日には結果が出たため、陰性の人は自宅へ戻り、その日から14日間は自宅隔離が始まります。私は万が一のことを考え14日間ホテルで隔離生活を送りました。その間、保健所から1度、体調確認の連絡がありました。

アメリカへ戻る

アメリカへ戻る時は羽田空港から飛行機に乗りました。羽田空港も乗客はほぼおらず、LAX 同様、スタッフは最小限であり、免税店やレストランはほぼ閉まっていました。機内は日本行きの飛行機より乗客は多かったですが、それでもいつもに比べると少なかったと思います。LAXに到着後は日本の様な検温やPCR検査はなく、すぐに入国審査へと進みました。入国審査では、パスポートとともにworking permitを見せたのですが、その後、ついてきてと言われ、別室に案内されました。不安な顔をしている私たちに、入国審査官はスタンプを押すだけだからと言い、その場を離れました。その後別の入国審査官に呼ばれ、仕事は何をしているのか、どこで働いているのか、家はどうしているのか(借りているのか等)、などの質問を受けました。その後スタンプを押してもらい、入国審査は終了しました。どちらの入国審査官も怖いというイメージはなく、とてもフレンドリーに話をして下さいました。その後14日間は自宅で隔離生活を送っています。

最後に

帰国前は色々と不安はありましたが、一時帰国をして本当によかったですし、無事アメリカに戻って来られたのは、星さんや弁護士の方のおかげです。帰国中の私のことも気にかけて下さり、大丈夫だよという連絡も下さいました。本当に感謝しています。ありがとうございました。


K. S. さんの一時帰国体験

6年ぶりの一時帰国!!

遂に6年ぶりの一時帰国をすることとなり、色々な不安がありましたが同時に母国に帰るという安心感もありLAXに到着しました。

LAXの様子はこれまで見たことがないほど人気がなく、静まり返っていました。近くで会話をしている人の内容がわかるくらい誰もいないLAXで、本当に飛行機は飛ぶのだろうかと考えていたくらいです。東京行きの航空機内も同じく人がいなかったのでかえって機内の安全性は高いと感じました。

無事成田空港に到着したのですが、案内があるまでは席を立たないよう指示をうけましたが、これは到着後に行うコロナウイルスの検査を混雑させないよう配慮されたものでした。乗客数が少なかったため15分程度機内で待機した後、指示に従って入国を済ませました。普通であれば出入国の際には判子をパスポートに押されることになりますが、混雑を回避するため、希望者のみに判子を押すといわれたので、念のため判子を押してもらいました。

空港まで家族が迎えに来てくれていたため、車で実家までかえり、その次の日から14日間の隔離生活が始まりました。隔離生活中はひたすらテレビを見る、食べる、筋トレ、家の掃除、を繰り返していましたが外に出ることが好きな僕にとっては、辛い14日間でした。両親も14日間の隔離を一緒にしていたので、久しぶりに同じ空間にいることができたのが唯一の救いでした。

辛かった隔離生活を終え外出が可能になった日、朝4時から散歩をしました。6年の間に地元もかなり変わっていたので、迷子になりましたが道を聞こうにも人がいません。そして帰国の際に空港で換金所によることはできないので、もちろんドルしかもっていませんでした。そんな一日目でしたが夕方には友達たちが僕の家まで会いに来てくれ、感動のあまり大号泣したことを一生忘れることはありません。それからは3人ずつくらいの規模で毎日友達を訪ねては泣いていました。

アメリカで強く生きようとするあまり、自分の帰る場所があることを忘れてしまっていた僕にとって、友達の存在はあまりにも大きく滞在中はありがとうという言葉を連発しました。瞬く間にアメリカへの帰国日が来てしまいましたが、今回の日本での時間の過ごし方に一切後悔はないほど楽しみました。

アメリカへの帰国便も乗客が少なく、安全だと感じていました。アメリカ入国の際にとても不安でしたが、案の定イミグレーションで別室に行くことになりました。別室では帰国の理由や住んでいる場所、職業などをきかれましたが、しっかりと質問や質問間の雑談に対し、毅然とした受け答えをしました。今改めて考えると、面接官は質問内容はもちろん質問をした時の反応や語学レベルなどの質問以外でのリアクションも見ていたのだと思います。無事入国が許可され、そこからは15分という驚きの速さで LAX の taxi 乗り場にいました。

自宅に向かう車内で帰って来られたという安心と、これからも気を引き締めて生きなければという何とも言えない感情を覚えました。

今回の一時帰国に関し、星さんや弁護士に方には様々なアドバイスを頂き、大変お世話になりました。本当に感謝しています。どうもありがとうございました。

東京スカイツリー(K. S. さんから)

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