Hazukiさん (2)  コミュニティカレッジ(2年制看護科)で学んで

Hazukiさん (2) コミュニティカレッジ(2年制看護科)で学んで

2020年5月7日掲載

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2015年秋学期〜2019年秋学期 コミュニティカレッジ(2年制看護科)

私の場合、看護科に入る前に必要なクラス(English, Psychology, Biology etc.)を取ることから始めました。アメリカに来た当初、ほとんど英語を話すことが出来なかったのでクラスについていくのは大変でしたし、同じ学校に日本人がすごく多くほとんどの日本人は日本人同士で集まっていました。私は、日本人の仲良くなった友達の女の子以外は、積極的にアメリカ人や他の国からきた学生と仲良くなりました。私の寮のルームメイトは、日本人の女の子、ガーナ系アメリカ人とネイティブアメリカンでした。私と部屋が一緒だったネイティブアメリカンの女の子とはすごく仲良くなり一緒にご飯を作ったり違う大学の友達の家に行ったりその子の家に招待してもらったりしました。彼女に教えてもらって驚いたことの一つは、ラーメンヌードルの食べ方です。普通、水の入った鍋にスープの素を入れて茹でますが、彼女は麺だけを茹でてお湯を切り、スープの素を直接かけて食べていたことです。これが結構よく、私もたまにこの方法で食べます。

前にも話した様に私住んでいるまわりには牧場と畑しかありません。車で10分くらい走るとWalmart、ALDI、Target などがあり、レストランはマクドナルド、KFC、Taco Bell、メキシカンレストラン、チャイニーズレストラン、Burger king、Wendy’s、Starbucksくらいしかありません。日本食レストランやおしゃれなカフェがたくさんあるシティに住んでいる子や西海岸に住んで居る友達を羨ましく思ったりもしましたが、お金を使いすぎるという心配はほとんど無かったです。

私の周りの日本人はBusiness、Accounting、Tourismが多く看護科は一人もいませんでした。ましてや、看護科には留学生は先輩に3人(ナイジェリア人、ジャマイカ人、セルガル人)しかおらず、情報源がなかったです。その3人は現在OPT中ですが、その後どうするかセルガル人の女の子に聞くとすごく厳しいと言っていました。私の学年にはアメリカ人しかおらず、卒業後の就活の話でみんなは盛り上がっていましたが、私は時間稼ぎも含めBSNを先に取ろうと決めました。病院の多くに、そこで働く者にBSNを病院側が全額もしくはほとんど負担してくれるところが多く、私にはeligible ではないのですごく残念でした。

特に、一番苦労したphysiology のクラスは覚えるだけでなく、なぜそうなるのかを理解しないといけないので苦労しました。テストでは、multiple choice question の他に自由に答えを書く欄があり、テストの時間内に終わらせないといけなかったのですごく焦りました。Anatomyのクラスでは、羊の心臓の解剖や鳥の解剖を行いました。

他の州は分かりませんが、私の州の看護科では 看護科に必要なクラス等は成績C以上、もしそれ以下なら1回だけ同じセメスターを取ることも可能なのですが、2回目以降は看護科から辞退しなければいけなかったです。ちなみに、私もその1人で最初のセメスターでC-をとりましたが一度チャンスを貰い無事卒業しました。普通のテストはだいたい4、5回あり、ファイナルテストは総合テストで学期末にありました。テストは私たちの学年からパソコンで受ける様になりました。テストが始まる前に小さいホワイトボードとペンをとり、席に座る感じだったのですが、多分クラスの誰かがそのボードにテスト前に何か書き込みし、誰かが先生に報告したのかわかりませんが、はじめのセメスターの3回目のテストぐらいからテストが始まってから白紙が配られる様になりました。その紙がまた、蛍光色で目には優しく無かったです。私自身、最初のセメスターでは勉強の仕方が全くわかりませんでした。特に、日本の学校では覚えるだけで点数が取れたので、看護科に入りそこがすごく苦労しました。

私の勉強方法

一度セメスターをやり直してから、私にはあとがなかったので、毎日朝から図書館で勉強しました。週末には、友達にクラブへ行こうよと誘われましたが、断り続けひたすら勉強しました。なぜなら、私は、1日に何十時間もたて続けに勉強するタイプではなく、毎日少しずつするタイプなので1日なにもしないと課題が溜まってしまうからです。特に、実習中で出る課題はその週に提出しないといけないのでテスト勉強+授業の予習でもうやる事がたくさんありました。テスト前日くらいから急に焦り出すのが私で、変に集中力が上がりました。

私が在籍していた看護科について

私が在学していた看護学科は少し特殊で、ハイブリッドコースといってクラス自体は週1+オンライン(自主的学習)+ 実習でした。秋学期(FALLセメスター)は8月から、12月に終わり、春学期は1月から5月まであります。卒業するまでうまくいくと、合計4セメスターあり、1stセメスターでは、基礎的看護+週1回の実習(geriatric)でした。2ndセメスターはMedical-surgical + 実習(確か3回だけかな)、3rdセメスターは、Medical-surgical + 週1回実習(Maternal-newborn, Psych, Geriatric)があり、最後のセメスターは、実習(geriatric)+ 120時間のキャップストーン(preceptorship)がありました。最後の1ヶ月間クラスはなく、ファイナルexam までキャップストーンだけでした。キャップストーンとは、約1ヶ月間一人の看護師とペアになり、ほぼ独立して(看護学生ができる範囲)で行動し実習をすることです。

クラスでの様子

セメスター毎に違いますがクラスは週1で朝から夕方まであり、一つのクラス自体が5時間の時もあったので集中力を保つのが大変でした。もちろん1時間か2時間毎に10分休憩はありましたが、、、

クラスはレクチャー式の先生が前でパワーポイントを使って話していてノートをとる+グループワークがありました。私やほとんどのアメリカ人は授業中録音して後からの復習に使いました。特に、私の場合、3時間のレクチャーでは集中力が途切れる事があったのと、1回で聞き取れない時があったのでこの方法を使っていました。グループワークでは、先生から何か課題を渡されグループで話し合い紙に書いて発表するというものです。例えば、Rheumatoid arthritis のnon-pharmacological interventions を書き出すなどです。グループワークの時は大体意見を出す人、書く人、発表する人がいると思いますが、私は、できるだけ、グループ発表の時は意見を言う専門で発表は避けていました。笑 また、私は意見を言うときは、小さい声尚且つなまりがあると伝わりにくいと思うので、大きめの声で言うようにしていました。

実習の様子

通常の実習(各セメスターほとんど変わらない)は朝の7時で、朝5時半起きとかだと前日起きられるか心配でほとんど眠れずいつも前日は憂鬱でした。夜中、急に目がさめ時計を確認したり、寝ている様で全然寝れていないような感覚でした。

実習中にはインストラクターや同じグループにはすごく助けてもらいました。例えば、実習中にたまに伝わらない単語があればグループ内の子が、こう言っているよと、代わりに教えてくれたりしました。やはり、薬の名前が一番発音しづらく絶対わかってもらえないだろうなと思ったときは、紙に書くかスペルで伝えたりしました。アメリカ人の子ですら、薬の名前には“Umm, I don’t know how to say this medication.”と、いうぐらいなので、私にとってはもうお手上げです。

また、実習中に受け持つ患者さんはインストラクターが決めた比較的“friendly”で“Assessment”をしやすい患者さんだったというのもあるのですが、みんな優しく、患者さんの中でたまに 僕の子供が日本に住んで居るよとか、僕は昔militaryにいた頃日本にいた事があるよとか、教えてくれました。ある患者さんに、あなたの名前は覚えにくいわね、他の人からもっと覚えてもらうために何かニックネームを決めた方がいいかもと言ってニックネームを一緒に考えたりもしました。ちなみに、ニックネームがなんだったのかは忘れました。笑 

ICUでの4時間の Observation(ほとんど見るだけの日)の日があったのですが、そこで1人の患者さんと出会いました。彼女のPatient History はわからないのですが、患者の娘さんの話しによると1週間前までは一緒にご飯を食べ、話したりしていたのに急に弱くなりだしついには寝たきりになったそうで、涙を浮かべていました。私がみた彼女は、機械が呼吸の手助けをしている状況でした。医師が家族に、数日だろう、と説明していて、医師がこれからどうするかを聞くと延命治療は彼女の意思に反するだろうとも言っていました。私はこの日が初めて“死”と直面した日でした。死んでいく彼女の姿を、もう死んでしまった私の祖母と比べたのだと思います。私は、患者や看護師の前では泣きたくない!と必死に、涙を堪えました。インストラクターが私を迎えに来て、ICUを出たあとに感想を聞かれるとなぜか安心し堪えきれず泣いてしまいました。インストラクターに“初めて?”と聞かれ初めてだったと伝えると彼の初めて患者の死を体験した時のことを話してくれました。彼は、今でも鮮明に覚えていると言っていました。

キャップストーン(Capstone)での様子

私のキャップストーンの実習先の希望は、ICU/Surgical unitで出し、私は、Ambulatory surgical unitに決まりました。このunitでは、主に colonoscopy、endoscopy、tonsillectomy、eye minor surgery、knee surgeryの手術をする患者さんを受け持ちます。

私の場合は、実習先がambulatory surgical unit で患者さんはだいたい手術や検査したその日のうちに帰ってしまう+手術前後だけの受け持ちなので、Medical -surgical unitの様に5人患者を受け持つなどはありませんでした。私がしたことは、admissionの行程の一つである患者さんへの質問(身長、体重、持病、薬 等)やVitals、術後に予測される症状などまた、聞かれたら質問に答えました。患者さんが、手術から帰ってくると手術箇所を観察し記録したり、痛みがあるかないかなど細かく情報を収集しました。

Preceptorship 中、シフトは朝の7時から15時まで毎日病院まで30分運転しました。たまに、早出の日があり朝の4時に家を出たこともありました。私のプレセプターは、週に何回か手術室でも働いていたので、いろいろな手術を見ることが出来ました。例えば、帝王切開、carpal tunnel surgeryやknee replacement surgeryなど 観ることができました。その中でも、Ortho surgeon はやはり骨の感染の問題があるので特に感染には厳しく、プレセプターにはもしかしたら、彼の手術は中に入ることは無理かもしれないと言われていたので諦めていましたが、他のO Rナースたちが私のことを押してくれたので中で見る事ができました。

実習5回目ぐらいに、PICC line の補助の補助をしていた時です。私のプレセプターはPICCのcertificate をとっている最中で、他の Certified Nurse K の監視の元、患者さんに挿入していました。私はPICCを見るのは2回目で大体なにが次に必要なのかわかってきていました。私は瞬時に、彼女たちが必要だろう物を渡すと、監視役のORナースKに、“あなたは仕事覚えるのが早いわね。他の人たち(学生やナース)は、まず私が何か必要としていても立ってるだけだもの。それに、学生はなにが必要かもわかっていない人が多いし。”といっていました。学生である私には、PICC の補助はできませんでしたが、それでも、観察中私になにができるのか、と考えることは大切だと思いました。

Preceptorship 中の、私の中で二つ心に残っていることを話します。ある女性が infusion 中に息苦しいというのですぐ駆けつけると顔や首元が赤くすぐにアレルギー反応だと思い、機械を止めたことです。彼女には3回ほどinfusionに立ち会っていて、charge nurse と彼女からは、他の病院で infusion 中に同じ様に反応が起きた事があるけど1回だけでその後全く起きていないということを聞いていました。その日、私は、彼女の近くの椅子で document していると急に、“Excuse me..”と、小さな声がしたので様子を見に行ったというわけです。Dose/rate は処方箋通り正確で、そのあとすぐに処方箋を書いた医師に電話し、状況を説明しました。医師から、rateを少し変えもう一度始めるよう言われたのでそうしました。その後、反応は全く起こらずに終えました。私は、学校で耳にタコが出来るくらいCritical Thinking という言葉を聞かされましたが、やっとこういうことかと理解しました。

もう一つは、囚人のcareをしたことです。私がいたフロアは correctional facility から囚人が毎週治療や検査を受けに来ます。なので、厳重に管理されている囚人用の隔離部屋には、柵?檻?があり初めて入った時にはすごく緊張しました。もちろん、部屋の中では足に錠がついていますし警備員が近くにいますが手錠はされていないのでVitalsをとる時、内心すごく汗をかきました。3回目ぐらいから、慣れたせいか私一人でvitalsをとりにいっていました。

NCLEX

2019年12月に卒業後、2020年の1月の後半にATTが届き2月1日にテストを受けました。周りの友達は、どんどん合格していてすごく焦るのと同時に、“みんなと同じ大学を卒業したんだから大丈夫”と思い聞かせました。なぜなら、卒業生から看護学校の普通のテストの方が難しいよ、と聞いていたからです。当日の朝、私の車は、ルームメイトの車が前にあり通れずというハプニングがありましたが時間通り試験会場につきました。私が想像していた試験会場は大学の講堂でたくさんもの人が座る様なところでしたが、実際は普通の個別の塾室のようなところでした。

NCLEX を解き始めていくと何問かクラスでは絶対習わなかっただろう病名が出てきて勘で答えた問題もありました。また、select all that apply 問題は上級問題?と言われていたので来るたびに、よしっ!と思いました。私の場合、maternity-newborn の問題が多かったと思います。

75問まできて次の画面に行く前に 深呼吸しました。何の問題だったかは覚えていないのですが、画面が消えて“Wait,,,,Nooooo I haven’t answered enough questions”と心の中で叫びました。2日後に、結果を見て本当に嬉しかったです。

普段の勉強法

授業でもらうプリントを自分なりに Word を使ってまとめました。ボイスレコーダーを聞いて先生が授業中に言っていたことを、書き起こしました。先生は大切なことはやはり何回も言ったりします。笑 私には、これがしっくり来る方法だったかなと思います。Word を使う点は、インターネットから画像を貼り付けたりできるのですごく便利です。”Digital Nurse’s station” や “Nurses lab .Com” も参考にしていました。

授業で配られるhandoutに自分流に作り直した一部

授業で配られるhandoutに自分流に作り直した一部

NCLEX 勉強方法

本格的な NCLEX の勉強を開始したのは、クリスマス後からです。クリスマスもあり、3週間ほどなにもしなかったので UWORLD 毎日30問から始め、だんだんと数を増やしました。私の場合、75問で集中力が切れるので毎日75問を解き、受験日まで合計933問解きました。私は、UWORLDのtutorを使い、問題ごとに必ず説明文を読み、それでもわからない時は ATI の教科書を使いました。暇なときや、レストランの待ち時間に携帯のアプリでUWORLDの問題を解いたこともあります。毎日の勉強した時間ですが、75問解く+説明文読む、だと大体4、5時間ぐらいかかっていたと思います。私の場合、UWORLD や ATI の分析で maternity-newborn が弱いとわかっていたので必然的に復習しました。

ATI

大学にいるときから使っていたATIの問題はほとんど解きました。ATIの教科書は大まかに NCLEX に必要な情報が書かれているので、問題を解いていて何かわからないことがあればすぐ調べられるので活用しました。

UWORLD

私的にはお勧めします。私が思うには、問題自体は難しく?作っている様な気がします。なぜなら、NCLEX とテスト画面の感じや問題形式がほとんど一緒だからです。強いていうなら、ハイライト機能は慣れるのもいいのですが、あんまり慣れすぎると困るかもしれません。NCLEX ではハイライト機能は無いので、私みたいに活用しすぎると大変かも、、、。

これから受験する方へのアドバイスとして教えて下さい。

試験中、休憩はいつでもとれる様になっていますがNCLEXの最低問題数である75問は確実に、解く訓練をすることです。

あとは、問題を解いているときに1問ずつ時間をかけていいと思いますが、本当にわからない時は思い切って勘でいくしかないと思います。笑

1stセメスターの実習最後の日の集合写真

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ナイアガラの滝での1枚

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学校内の道をサイクリング中

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スパニッシュのクラスで知り合った友達とsleepover

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Biology のプロジェクトで、身近な物を使って細胞の模型を作りました。

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看護学校で使ったノートや資料

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学校のファッションショーでモデルをした時

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私のプレセプター

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キャップストーン(Capstone)最終日に他の看護師たちと。クリスマスギフトと、カードをもらいました。

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Hazukiさん (3)  将来はマスター、ドクターにも進みたい

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Hazukiさん (1) アメリカで看護師資格取得しました!!

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