Erikoさん 40代未経験で看護分野に向かって前進するパワフルママ
2013年4月4日掲載
日本では、結婚・出産を経て2児の母としてごく普通の主婦でした。ただ、結婚前に高校の英語教員として働いていたこともあり、子供の英語教育は特に力を入れていました。人生の第一の転換期となったのは、2人目の子供が2歳になって数ヶ月経った頃。私の父親の仕事の関係で、家族全員でハワイに移住するという話が浮上しました。当時子供が幼かったこともあり、将来を考え一緒に移住することに決意。仕事の処理が終わらぬ夫を日本に残したまま、先に子供2人と共にハワイに旅立ちました。
初めての海外生活-ハワイ
高校の卒業旅行や新婚旅行などで訪れたこともあったハワイに自分が住むようになるなんて想像もしていなかったのですが、あの気候や人の温かさが「いいな~」と思っていたので、不安以上に大きな期待がありました。しかし、すっかり日本人コミュニティーに染まり、いっこうに英語力は伸びませんでした。「すぐ来る」と言っていた夫が一向に来ないまま、毎日泣きながら主人を待っていましたが、離婚することになってしまい、異国の地で二人の子供をかかえたシングルマザーとなりました。
子供を預け仕事をしていくなかで、観光で来てたときには見えていなかった「海外生活の難しさ」を痛感しました。幼稚園の先生とのやり取りから始まり、生活における重要なことは英語でのコミュニケーションが必須。事実、英語の教員だったという面目が丸つぶれ。。。頭ではわかっているのに、自分の言葉で話せない、言われていることが理解できない、と英語でのコミュニケーションでつまずく毎日…。しかしそんなことも言ってられず、とにかくアメリカにいるために、自分で子供たちを養っていかなくてはと必死になるしかありませんでした。父の仕事を手伝う傍ら、自分でも会社を設立、日本食レストランを開業しました。また、以前から興味のあった児童教育を学ぶため、大学院に通い免許を取得。その後デイケアセンターを開業しました。
しかし、子供の教育に力を入れたいという気持ちが高まれば高まるほど、ここにいていいのか?という疑問が沸きはじめました。というのも、いろいろ調べる中で、ハワイは狭い島で人口が多く競争率は激しい割に、教育レベルが低いと私が実感したことがあったのです。そんな矢先、友人にドクターが多かったことが影響してなのか、子供たちが、「将来はお医者さんになりたい!」と言い始めました。周りのドクターの友人達から情報を聞き出すと、皆メインランドで教育を受けてきたという共通点が浮かび上がりました。それがきっかけで、ロサンゼルスや他の地域のサイトを見ていたときに、アメリカ看護師留学アドバイザーの星さんと出会いました。これが人生を左右する第二の転換期となりました。
ハワイからロサンゼルスへの移住
子供の教育環境を改善すべく、他州への移住を考えてはいたものの、いざ移住するとなると勇気が要りました。10年に渡って確立してきたハワイでの生活を簡単には捨てきれず、うじうじと悩んでいたこともあります。そんな時に、星さんからパワフルな激励と共にマメなカウンセリングを受け、「これは私が進まなくては行けない道だ!」と根拠もなく決めてロサンゼルスに降り立ちました。不安がなかったというとウソになりますが、自分の子供の夢を応援したいということと、親の介護を考えたときに看護の資格を持っているほうが、のちのち役に立つと確信できたのです。
学校に入学してからは、あっという間に授業と実習が始まりました。厳しい実習、勉強の辛さはもちろんありましたが、挫けそうな時は先生(インストラクター)が絶妙なタイミングで励ましてくれました。実習を通して学んだことは、患者さんの病気が心にどんな影響を与えるかまで気を配り、配慮するようにと教えられたことです。専門家がチームを組んで患者の病気だけでなく、心のケアまでサポートするという手厚いシステムがあることを知りました。私自身、日本ではそのような治療は体験したことがなかったため、すごく感動したことを覚えています。
また、印象に残った一つのエピソードがあります。私自身、英語がネイティブではないため、伝えたいのに伝えれないというジレンマを感じることが多々ありました。誰にも心を開かないと噂されていた患者さんの担当になった時、言葉にできないながらも誠実に接していきました。言葉が通じないため、余計に嫌われてしまうのかもと思っていたのですが、私の言いたいことを汲み取って、なんと患者さんのほうから色々と話しかけてきてくれたのです。きっと、病気で弱っている自分にも他の人を助けれる力があるんだと気づいたのでしょうか、私の言語の壁がむしろ患者さんを元気づける要因となったのです。今でもこの患者さんとは仲良くさせて頂いています。
子供の夢への道しるべに
私が母親として、子供の夢への道をどこまで舗装して歩けるように形作ってあげられるかはわかりませんし、それが正しいことなのかもわかりませんが、日々接する中で実感できるのは、今頑張っている私の姿を見て子供達がまっすぐ成長してきているということです。今でも英語でのコミュニケーションで、理不尽だと思うことに直面した際、「日本語だったらもっと上手に表現できるのに」と思ったり、考え方や習慣の違う人たちと朝から晩まで一緒に過ごしたりすることで、大きなストレスを感じることも少なくありません。
そんな時、まだ小さい子供たちが健気に応援してくれると「もうやめようか」と挫けそうになる心が一気に吹き飛ぶのです。子供たちのために看護の道に進んだと最初は思っていましたが、実は違いました。子供がいることで、子供たちが夢を伝えてくれたことで、自分も生きがいとなる職業を見つけることができたのです。この40数年間、色々な経験をしてきましたが、子供達に胸を張って言えることは、今まで私が経験してきた事に無駄なことは一切なかったということ。
例えば、資格を取ってデイケアーを開業していた時、自閉症スペシャリストの補佐役として、自閉症の子供達のお世話をした経験があったことで、看護の世界へと興味が広がったこと。レストランの事業をしていたおかげで、学校で学ぶ栄養学等に自信が持てたこと。独身時代に色々な国々を旅行していた経験があるから、様々な文化や人種をバックグラウンドにした人々と先入観なく心を通わせることができること…など。子供達は、私が日々経験していることをすべて吸収するかのように、毎日の出来事を目を輝かせて聞いてくれています。
今後の課題
今、私はNCLEX試験に向けて猛勉強中です。アメリカに長く住んでいても、今頃になって日本人(または自分の)常識にとらわれ、アメリカ生活にストレスを感じることがあります。でも、アメリカの地で看護の仕事に従事するわけですから、“臨機応変”に対応していこうと常に心がけています。
私が思うに、生きている限り、「いまさら遅いなんてことはない!」と思います。ただ、看護の勉強をしていくなかで、失敗から学んだことが沢山あったので、まとめてみました。これから看護留学を目指す皆さんの参考になればと思います。
【看護留学をする上で気をつけるべきこと】
1) 英語の勉強はもちろんの事、施設によってはスペイン語しか話せない場所があったりするので、英語は基本中の基本ということを頭におき、英語以上のプラスαが必要であるという事を忘れないこと。
2) 日本の常識にとらわれないこと。
3) 日本人同士で固まらないこと。
4) 必ず自分が疑問に思うことはそのまま放置せず、箇条書きにして質問し記録しておくこと。
5) 苦しんでいるのは自分だけではないから落ち込む前に人に話して解決すること。
★アドバイザー星から★
先日、CNA (Certified Nursing Assistant) ライセンスも取得したRiekoさん。「勉強・家事・子育て」の3拍子を試行錯誤しながら前向きに行動するRiekoさんを見ていると「自分は怠けているなあ…」と反省してしまいます。テスト前、復習に役立つようご自身で「スタデイーガイド」を作成。それを見たアメリカ人学生達から評判を受け、しまいには先生からも太鼓判をもらった!というエピソードも。英語が第二言語という壁もありながら、それを言い訳にせず、アメリカ人の2倍、3倍の努力で勉強、実習に真剣に取り組む姿が素敵です!私まで勇気づけられます。
「頑張り屋さんのRiekoさんの夢実現までこれからも応援し続けます!!」